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KOBAKEN.blog

横須賀ゼミ合宿報告書

佐藤智史より、2006年度ゼミ合宿報告書


8月4日
11時、横須賀市安浦町の花松集合の筈が、時間通りに来た者は鈴木君と私の2名。30分待つが誰も来ず。痺れを切らし、花屋に頼み、宿舎の鍵を貰い、窓を開放していたところ、2、3年生と先生が到着。市役所で4年以上の学生が来るのを待っていたと言う。集合情報が錯綜していたようだ。16時にミーティングを開くことを打ち合わせ、自由時間に。先生に頼まれ、昼食の買出しに向う。「茶屋」にて惣菜を購入。一人で選び、運ばなければならなく四苦八苦。弁当の待ち時間を含めて一時間以上かかる羽目に。2年生と先生を待たせてしまった。ちょうどゼミ長藤本君が横須賀に到着、合流。宿舎に戻る途中、待ちくたびれた2年生、後に先生と遭遇。宿舎に戻り、皆で昼食。食べ過ぎにより、後で後悔する羽目になるのだが、つゆ知らず。16時に市役所に集合、平成町に向けて皆でゆっくり歩く。17時に「はま蔵」到着。海の幸を堪能。しかし昼食からさほど時間が経っておらず、どちらかというと飲む方が中心に。皆で20時頃まで居座る。宿舎に帰る者、ハシゴして先生と飲みに行く者が居るなか、ゼミ長と関戸君とで翌晩の開国記念花火大会の場所取りをする。シート、テープ、マジックを買い出し、陣取る。海を挟んで正面向うには猿島が浮ぶ。時計は21時半を回っていた。海風が心地よい。


8月5日
本日は開国祭。9時に「茶屋」にて皆で和の朝食、その後自由行動時間に。炎天下のなか板野君と市内を当ても無く歩き、前日の晩に陣取った花火を見る場所に一応の確認をしに行ったのが10時半。2年生と一度合流するも、再度離脱。暑くてたまらなかった為、とりあえずLIVIN内のMUJI-CAFÉにて休憩、涼む(11時)。開国祭ではあるが、炎天下で当てもなく歩くのも馬鹿馬鹿しく思え、また晩の花火まで一日空いている為、今回の合宿中の目的でもあった三浦半島最高地点である大楠山(241m)に踏査に行くことにした。板野君とは別れ、12時前に京急線のガードをくぐり聖徳寺付近を通過、佐野商店街を長々と歩く。12時半には衣笠十字路に到着、大楠芦名口行の京急バスを30分ほど待つ。三浦半島の西側、芦名地区に到着。緑に囲まれのどかな雰囲気。大楠山登山道芦名口は登らず、前田川の散策路から登山道へ、というコースを目指す。13時半には前田橋着、山頂へはここから3.6kmの道のり。「関東ふれあいの道」の一部にもなっているコースである。前田川の流れが薄暗い緑のトンネルを作り出し、ひんやりとした水の粒子による涼を感じながら川の流れに沿って歩いていく。13時45分には散策路と大楠山登山道の別れ道に到達、いつの間にかだいぶか細くなった水の流れとの別れを惜しみつつ、登山道に入る。整備された道、ぬかるんだ道が織り交ざり、諸々の種の蝶々が舞うなか、軽快に登る。鳥のような啼き声がし、もしや猿かと思ったが、木々の間をよく目をこらしてみると、何やらガサガサ動いている。リスであった(後で調べたら、移入種であるタイワンリスである可能性が高いようだということが判った)。何匹もいる。相当にすばしこい。夢中でカメラに収める。2、3グループの中年ハイカーのグループとすれ違い挨拶を交わした後、14時半には国土交通省の白亜の気象観測塔に着いた。山頂かと勘違いしてしまったが。螺旋階段を登り、あたり一帯を眺めながらひと休み。その後5分ほど歩き14時40分に山頂着。螺旋階段の見晴らし塔に登り、眺望を満喫する。下山は北に進む阿部倉コースをとる。葉山国際カンツリー倶楽部の脇を通りながら谷を下る。15時20分、葉山町は大楠登山口着。バスを待ち、その後宿舎へ無事に到着。去年までのゼミ生であったOG・OBが宿を訪れており話が弾んでいたが、とりあえずはかなり疲れていたので休ませてもらった。起床後、惣菜をつまみながらOG・OBと親睦、途中OB田原氏、田岡氏も登場、いよいよ役者が揃ったか。そして合宿のメインイヴェント、花火大会の会場へ一同は向った。最高のロケーションのなか、すさまじい光と音の饗宴。感無量。宴の後は、一度宿舎に戻り、銭湯にて入浴、その後先生に寿司屋へ連れていって頂き、歓談。2時まで皆で居座る。


8月6日
 9時半頃には宿舎にて腹ごしらえ。先生とOBが買い出しに行ってくださっていたようだ。BBQをすることになり、12時半、うみかぜ公園にて開始。ここでもOBになにからなにまで世話になってしまった。生憎の炎天下ではあったが、皆で楽しく、首尾良く焼く。時折の海風が心地良い。贅沢な気分。BBQを終え、宿に帰り、しばし胃袋を落ち着かせる。19時頃夕食へ。市街地中心部の飲み屋に落ち着く。その後、暗い夜道を散策。高台になっていて眺めの良い中央公園で一服し、細い路地を下り、簡素な踏切を渡り、宿舎へ戻る。22時、宿舎に帰還。


8月7日
 合宿最終日。知らぬ間に人数が大幅に少なくなっていた。「茶屋」での朝食後、宿に戻り、後片付けと清掃、荷物をまとめる。記念撮影。皆、それぞれ思いの滲み出た表情をしていた。宿舎を後にし、駅へ向う。途中、先生にかき氷をご馳走してもらう。名残惜しいが、別れの時。正午頃に解散、2006年度横須賀合宿はその一切を終了した。先生、OB・OGの方々、参加者のみんな、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした!


文責:佐藤 智史

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※大学のPC内の共有フォルダ"castor(temp)"内に、「小林秀徳ゼミ共有」フォルダを作っておきました。ゼミ関連の活動のデータを入れたりと、今後自由に活用して頂ければ幸いです。ゼミ合宿の写真等も入れておいたので、興味があれば閲覧されたし。

10/31 追伸:フォルダ「小林秀徳ゼミ共有」はcastorのtempからworkへ移動させておきました。ファイル内容量過多の為学部がファイル内フォルダを削除してしまうようなので。
# by y-kobahide | 2006-08-24 13:19

横須賀合宿レポ

横須賀合宿の4日間はあっと言う間に過ぎ去り、それからまた2週間が過ぎようとしている。
皆さん、本当にお疲れさま。
記憶だけではなく記録に留めることでゼミとしての歩みがあるように、あの4日間の総括を自称書記である私、藤本の視点から試みる。


8/4(金):合宿1日目
      11時に横須賀市役所に集合。2・3年生はきちんと集まったものの、4年生は藤
      本の伝達ミスにより宿に直行。合宿開始早々のすれ違い。波乱の幕開けか‥と
      皆が不安を感じたに違いない。
      藤本が遅れて到着し、宿に残ってちょうど昼食をとろうとしていた先生、4年生の
      佐藤智史くんと2年生の女性陣に合流し、タイミング良く昼食にありついた。その
      後16時に再び横須賀市役所会議室に戻り、夏目さんオススメの魚のお店に移
      動。横須賀合宿の成功を祈願した。こちらのテーブルでは夏目さんのありがたい
      お話が、ありがたい口調とテンポで展開された一方、反対側のテーブルでは2年
      生が打解けない様子でいた。これを目の当たりにした4年男性陣の当面の目標
      は、彼女たちをゼミに馴染ませることとなった。が、これは口実で実際は仲良くな
      りたいだけであった。先生とて例外ではない。
      最初の飲み会が終わり宿に戻ると、銭湯に行ったり布団に横たわりながら話をし
      たりと、各々の時間を過ごし、平和に一日が終わろうとしていた。それを妨げたの
      は、ゼミ随一の格闘家、鈴木くんであった。彼はこの日の合宿開始早々に3年生
      の女性らを車で連れ去り、先生をして「早ぇな」と言わしめていた。この合宿で彼
      は、まさに『小林ゼミのハリケーン』の名をほしいままにしたのである。2年生と楽
      しげに飲みの続きをしていた藤本もそんな彼の狩りの対象となり、蹂躙され、辱
      めを受けた。皆がこれを快しとしていたかは疑問だ(と信じたい)が、彼の振舞が
      意外にも後に多くのゼミ生の眠っていた闘争本能を呼び覚まし、小林ゼミ内に、
      格闘家を養成する鈴木ゼミを形成していくこととなる。

8/5(土):合宿2日目
      前夜に寝苦しく、早く目覚めてしまった藤本は、ちょうど同じ境遇にあって起きて
      いた智史くんと別室でこの日からのゼミ合宿について大いに語り、想像を膨らま
      せた。そうこうしているうちに先生や他の4年生も目覚め、まだ眠り足りない様子
      の後輩達を起こして朝食をとりに商店街に出向いた。
      朝食後は各自・各グループに分かれて、予定していた場所を巡り、それぞれの
      観光や調査を実施。藤本も単独で行動し、まずは去年いろいろとお話を伺った
      高松さんに御礼をしようと横須賀市市民活動サポートセンターに訪れたが、この
      日彼女に会うことはかなわなかった。汐入駅近くのダイエーからヴェルニー公園
      を望み、そこからひきかえして三笠公園へ。米軍人や藤本も好むRoot Beer系
      のドリンクを取り揃えた店、さらに横須賀ジャンパーの店に立ち寄るなどして、ゆっ
      くりと向かった。三笠公園では、東郷平八郎の巨像を前に、かつて1904年から
      の日本海海戦で連合艦隊司令長官として戦艦三笠を指揮した彼の「皇国の興廃
      此の一戦に有り」という言葉に、横須賀製鉄所による戦艦の建造や港湾施設の
      整備という近代化の道を歩んできた横須賀の歴史を思い、しばし立ち止まった。
      ふと我に返ると、海岸通りを下ってうみかぜ公園に入り、この日の開国記念花火
      大会のために前日深夜に智史くんと2年生の関戸くんと藤本で確保した場所の
      安否を確認。他者からの圧力を避けるために『小林消防 慶応三年創業』と書い
      た巨大なレジャーシートに、一見すると日本語を理解できなそうな妙な男がつか
      つかと進入し座りこむ様子を見て、近くで場所を確保していた中年女性は、私を
      心配そうに見つめていた。「お兄さん、悪いことは言わないから、そこから離れな
      さい」という目をして。そんな心配をよそに藤本は、一時間ほどその場で日焼けを
      し、宿に帰り、銭湯で汗を流して、この日に来てくれる予定になっていたゼミの先
      輩(大田くん、玉井くん、華山さん)を迎えた。
      先生も帰ってきたところで、花火見物へ。先生や上級生のために最前列を残して
      座っていた後輩達に感謝しつつ、花火を堪能。確保した場所はまさにベストポジ
      ションで、藤本自身としては、ここ数年で最高の花火大会となった。まさに都心の
      有名な花火大会になればなるほど、花火で感動を得たい我々観客からは疎遠な
      ものになっていくなかで、横須賀のそれは我々に身近で、大きな感動を与えた。
      宿に戻ると花火の余韻に浸りつつ飲みを開始。そこへゼミ2期生の田原さん、
      4期生の田岡さんと、一昨年の卒業生も加わり、最大で12歳の年齢差のゼミ生
      が一堂に会した。非常に残念だったのは、そんな貴重な場の雰囲気を一部の現
      役ゼミ生が害してしまったことである。挨拶もろくにせず、別室に移動してトランプ
      を始めた姿を見て、残りのメンバーは驚きを隠せなかった。藤本は、「よく言って
      おくように」とOBの田岡さんから注意を受けた。トランプ遊びを始めた彼女らが、
      先輩方にさして興味を感じなかったとしても、その場を重要な機会と捉えられなく
      ても、それは構わない。しかし、「他人に迷惑をかけない」ことと「他人に恥をかか
      せない」ことは大切だと、藤本は思う。同じゼミ生として正しくおもてなしをしたメン
      バーに、ゼミのために彼らを誘った先生に、そしてなにより先生からお誘いがあ
      って忙しいなか駆けつけてくれた先輩方に、恥をかかせてはいけなかった。

8/6(日):合宿3日目
      午前中、昨年度の卒業生が合宿所を後にした。「合宿に呼んでくれてありがとう」
      と言ってもらったが、感謝すべきは我々である。来年までに、後輩が合宿に誘っ
      てくれるに足る先輩に成長していたいものだ。
      思い立ったら行動に移せるのがすごいところだとは常々思っていたが、この日の
      BBQも、先生の思いつきから実現した。「藤本、明日BBQやるぞ。あ、でも道具
      がねぇな‥」と先生がぼやいていたのは前日の夜である。先生は午前中に田原
      さんと田岡さんを引き連れて出かけていった。藤本に連絡が入り、全員をうみか
      ぜ公園に連れてくるようにと言われ、しばらくして現地に到着すると、随分しっかり
      したBBQセットが用意されていた。リーダーの条件その①『迷いを見せない姿勢』
      である。そうしてBBQが始まり、これは大変盛り上がった。大型スーパーLivin'の
      食材は意外にも美味しく、快晴の空の下、初めての共同作業をしつつ、平和な時
      が過ぎた。よく歩く小林ゼミにはよく食べる面々がそろっており、かなり多めの食
      材を殆ど食べ尽くした。ゆっくりと時間が流れ、そろそろ皆がBBQの終わりを意識
      し始めたが、しかし言い出せるものがいない中、やはり先生が口を開いた。「では
      ここらで昼飯の片づけをして、夕飯の準備に入る」。皆、爆笑した。普通なら進ん
      でしたいとは思わない後片付けを、快くやろうと思わせるような『言葉の選択』。リ
      ーダーの条件その②である。末端の士気を高めるには、それをお願いする側の
      言葉が巧みでなければならない。こうして、BBQは終始楽しい雰囲気のなか、終
      了した。しかし、BBQに魚を届けるよう命じられていた阿部くんは、ついに姿を現
      さなかった。      

8/7(月):合宿4日目
      初日からメンバーの出入りを繰り返したが、この日の午前までには大分人数が
      減り、いよいよ合宿は終わりを迎えていた。最多で23人のゼミ関係者が集まっ
      た合宿所も既に静かさを取り戻しつつあった。毎週何らかの教室などが利用し
      ているにせよ、この座敷に若い風を吹き込むのは、おそらく夏の小林ゼミくらい
      のものではないか。去年、初めてこの合宿所に来た時には、酷い所だと思った
      が、ここで過ごすのもこの日が最後かもしれないと思うと、今では寂しい。是非
      ともこの場所で、今後も活気あるゼミ合宿が行われ、伝統が受け継がれていく
      ことを期待する。
      正午にはきれいに片付けて、合宿所の鍵を花屋に返さねばならないということ
      で、最後は慌ただしかった。残ったメンバーで5袋分ほどのゴミを捨てにコンビ
      ニに走り、全員分の布団を片付け、座敷を軽く掃除し、BBQセットをコンビニか
      ら宅配便に出して戻ると、ちょうど12時手前。ついに合宿は終了した。解散前
      に最後まで生き残ったツワモノが並んで写真を撮った。2年生が1人、3年生が
      2人、4年生が3人と、先生である。こうして各学年、一応メンツを保ったという形
      になった。
      横須賀中央駅に着き、先生はそれとなくゼミ生を昼飯に誘ったが、数人は疲れ
      ていたために帰ることを選択、残りの数人は先生のお誘いを聞き取れず、結局
      誰も先生について行かなかった。後ろを振り向かない主義の男は、背後に足音
      がないことに気付きながら、哀しげに背中を揺らして雑踏の中に消えた。その後、
      彼の姿を見たものはいない。


この記録は藤本の主観に基づくものであり、それぞれが感じた横須賀合宿からすればほんの一部分に過ぎず、符合しない面も多いだろう。しかし、少なくともゼミ合宿について考えるべきことは多分にあった、ということは間違いないのではないか。これを読んで、では自分は横須賀合宿で何を学び、どんなことを感じたのか、ということを各自が考え直す契機となれば幸いである。確かに、辛い合宿ではなかった。むしろ楽しい時間だけが続いていた気さえする。ただし、辛さだけではなく楽しさの中にも学びはある。合宿の最中だけではなく、後にも合宿の学びはある。そう思って合宿を見つめ直せば、「成果のない合宿」との批判を受けずに済む。
さぁ、次は上海合宿である。


ヒトシ
# by y-kobahide | 2006-08-20 22:59

横須賀合宿

もう8月ですね。

ということは、3日後に横須賀合宿が始まるってことです。
そこで、集合場所の情報を載せておきます。

〒238-0012横須賀市安浦町1-10フラワーショップ花松
(有)松島(046-825-0087)

11:00集合でしたっけ?
ちなみに途中参加の方は、上記の場所に行ってもゼミ生が外出していたら中に入れないので、直接誰かに連絡をとって確認してください。

では、みなさん現地で会いましょう。

ヒトシ
# by y-kobahide | 2006-08-01 18:58